HITE-Media Presents「END展 死×テクノロジー×未来=?」展示キャプション

2021.11.02

「END展 死×テクノロジー×未来=?」の展示キャプションをこちらでお読みいただけます。

WELCOME BOARD

 いまから100年後の「死」は、どんなものになっていると思いますか?

 古今東西、人々はこれまで数多の神話や物語のなかで「死」を描き、また多くの宗教や民間信仰が「死後の世界」をさまざまなかたちで示してきました。しかしいま、この数十年で圧倒的に世界の様相を変えているのはインターネットとテクノロジーの存在です。

 スマホ内にある無数の写真データ、SNSの投稿からネット上で登録した個人情報に至るまで、それらが死後、どのように扱われるかを想像したことはあるでしょうか? いまやAIによって故人の「新作」が生まれたり、あたかもいまそこにいるかのようなCG映像がつくられたりしています。それらが常態化するとき、「死者の存在感」はどう変化していくのでしょうか。さらに近年は環境問題が一層深刻化し、自然と人間との関係軸にも新たな視座が求められています。人はかつてのように、土に還り、自然の一部となることはもうできないのでしょうか?

 本展はJST/RISTEXの研究領域「人と情報のエコシステム(HITE)」のメディア・プロジェクト「HITE-Media」から生まれました。「HITE」とは、AIやロボティクスなどの情報技術が浸透する社会において、これからの生活や社会環境がどう変化するのか、人間と機械の本質的な違いとは何か、そのときの法制度や倫理、人とテクノロジーのウェルビーイングな関係などをテーマに多様な研究者がプロジェクトを進めています。

 この研究領域において、わたしたち「HITE-Media」は、「死」を起点にこれからの情報社会を考える展覧会を企画しました。人が生命である以上、100%訪れるものが「死」です。あなたがいつか死ぬとき、または、あなたの親しい人や憧れていた人が亡くなるとき、これからのデジタル時代にはなにが残るのでしょうか。そのとき、あなたはなににうしろめたさを感じ、なにを忌避し、なにを懐かしく想うのでしょうか? この問いに正解はなく、一人ひとりの、そのとき感じた、考えた分だけの答えがあるはずです。

 本展覧会では、死にまつわるさまざまな「問い」を、マンガのワンシーンやアート作品とともに投げかけます。同時にHITE-Mediaが独自に行ったアンケート調査の結果も示しています。この一つひとつの問いに対して、あなたはどんな答えを選ぶでしょうか。今日、この展覧会を観て感じた、あなただけの答えを教えてください。

本展キュレーター 塚田有那

主催:HITE-Media|共催:国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)|キュレーター/ディレクター:塚田有那(Whole Universe)|HITE-Media 研究プロジェクト代表:庄司昌彦(国際大学GLOCOM/武蔵大学)|企画:山内康裕(一般社団法人マンガナイト)、小沢高広(うめ)、高橋ミレイ|制作:坂本麻人、清水聡美、須藤菜々美|協力:松尾奈々絵、HITE-Mediaプロジェクトメンバー、マンガナイトBOOKS、Whole Universe、ANB Tokyo(一般財団法人東京アートアクセラレーション)|アートディレクション:小田雄太(COMPOUND inc.)|アートワーク:五十嵐大介

3F 魂のゆくえ

1. 生まれ変わりたいですか?

BEASTARS

「輪廻転生」とは、元々は「死んだらすぐにこの世に生まれ変わること」を意味し、インドで仏教の誕生とともにこの思想が広まりました。しかし中国に仏教が伝わると、輪廻の先には人間界(人間道)を含めた6つの世界(天道・地獄道・餓鬼道など)が存在する「六道輪廻(ろくどうりんね)」という考え方が広まり、新たな「死後の世界」がイメージされるようになりました。その土地の風土や歴史、社会的背景によって「死後」のイメージはがらりと変容していくのかもしれません。肉食獣と草食獣が共存し、種族を超えて交流する世界を描いた青春ドラマ、板垣巴留の『BEASTARS』に登場するゴマフアザラシのサグワンは、海のなかで暮らす生き物たちの死生観をハイイロオオカミのレゴシに教えます。同じ地球上においても、陸上と水中ではまったく異なる思想や信仰があり、死に対する感覚もまた異なるのだとサグワンは伝えてくれるのです。

『BEASTARS』©板垣巴留(秋田書店)2017

参考文献:マンガ しりあがり寿/文 寺井広樹/監修 島田裕巳「しりあがり寿の死後の世界』(辰巳出版)
アンケートデータ:% (n=293)

2. お葬式はこれからも必要でしょうか?

EDEN 〜It’s an Endless World!〜

日本国内では、現在9割近くの人が仏式葬儀を選んでいるそうです。とはいえそのすべてが仏教徒というわけでもなく、葬儀の形式だけに則った「葬式仏教」がしばし批判的に語られることもあります。しかし宗教学者の岡本亮輔は、仏式葬儀における初七日や四十九日といった儀礼は、残された人が故人の死を受け入れていくためのプロセスとして培われたものであり、それこそが日本独自の「信仰なき実践」の表れであると指摘します。未知のウイルスによって世界人口の15%が失われた世界を描く遠藤浩輝の『EDEN It’s an Endless World!』では、荒廃した都市で主人公エリヤが子どもの死体を見つけたことから物語の幕が開きます。「自然」とは「思い通りにならないもの」だとエリヤは語りますが、葬儀という行為自体が、人が不条理なる死と抗うために編み出した知恵と実践なのかもしれません。

『EDEN 〜It’s an Endless World!〜』​​©遠藤浩輝/講談社

参考文献:岡本亮輔『宗教と日本人』(中公新書)
アンケートデータ:% (n=293)

3. 死後に何かを持っていけるとしたら、何を選びますか?

あれよ星屑

「冥土の土産」という言葉があります。「死んであの世に持っていくもの」という意味ですが、慣用句としては、死の間際に後悔することなく安心して死ねるような事柄を指すことが多いようです。敗戦直後の東京を舞台とした山田参助の『あれよ星屑』では、戦争から命さながら生き残った元軍人たちと、混乱の世をたくましく生きる女たちのさまざまな生き様が描かれています。元陸軍軍曹・川島にとっての「冥土の土産」は、無念にも命を落とした兵士たちの魂だったのかもしれません。元軍人・黒田が口ずさむ「オレが死んだら三途の川で」というフレーズは軍歌「蒙疆(もうきょう)節」の一節です。
ちなみに世界各国には、多種多様な「土産」が存在します。死後は生前に好んだあらゆるものを享受できると考えた古代エジプトでは、数々の宝飾品や死後の世界を旅する船、秦の始皇帝であれば膨大な数の兵馬俑がその墓を守っています。

『あれよ星屑』©︎山田参助/KADOKAWA

アンケートデータ:% (n=286)

4. 「国が富士山のふもとに天国つくるってよ。」 しりあがり寿
書籍『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』発表作品(ビー・エヌ・エヌ、2021)

5. 死者はすぐそばにいると思いますか?

マイブロークンマリコ
ダリアの帯

民俗学者の柳田国男は、「人は死んでも霊は遠くへ行かず、故郷の山々から子孫を見守り、正月や盆には帰ってくる」といった観念が、日本の古くからの習わしに無意識にも保存されていると指摘しています。大島弓子の『ダリアの帯』では、子どもを流産してしまった黄菜(きいな)が、あるときから「いるはずのない我が子」と会話をし始めるなど、周囲の人とは異なる時間の世界を生きるようになります。夫は困惑しながらも彼女と生涯を共にしますが、あっさり自分が亡くなったあと、意識体であるはずの自分が、彼女と会話が通じることに気がつきます。そのとき初めて、彼女がずっと見つめていた、死者も行き交う「有形無形森羅万象」の存在にふれるのです。

平庫ワカの『マイ・ブロークン・マリコ』では、主人公シイノは親友マリコの自殺を止められなかった後悔の念とともに、親友の遺骨を抱えて旅に出ます。物語の途中、時が経つにつれ「どんどんあのコの記憶が薄れてく」ことに戸惑います。展示の1コマは、旅先で出会った男が最後に投げかけた一言。このあとに彼はこう告げます。「あなたの思い出の中の大事な人と あなた自身を大事にしてください」。

『マイ・ブロークン・マリコ』©︎平庫ワカ/KADOKAWA
『ダリアの帯』©︎大島弓子/白泉社


参考文献:柳田国男『先祖の話』(角川ソフィア文庫)
アンケートデータ:% (n=290)

6. 死後の世界、天国、地獄、宗教的奇跡、祖先の霊的な力などで、あなたが信じているものはありますか?

ぼくらの

カッパやザシキワラシなど、日本にはさまざまな妖怪伝承が存在します。民俗学者の畑中章宏は、それらの存在が語られた背景として、災害や事故などで亡くなってしまった人々や、縁者もなく弔われなかった死者たちがいると指摘します。日本における妖怪とは、不条理にも命を失った無数の霊たちが「集合性を帯び、個人から離れて公共化され、抽象化されたもの」だと言うのです。未曾有の災害などに際して、残された人は何を思い、何を信じようとするのでしょうか。地球滅亡を阻止すべくロボットに乗って死闘に挑む14人の少年少女を描いた鬼頭莫宏の『ぼくらの』でも、不条理な死と立ち向かう人々のさまざまなエピソードが描かれています。パイロットになれば必ず死を迎えるという残酷な契約を結んでしまった14人のドラマは、生きること、信じることとは何かを、さまざまな角度から問いかけています。

『ぼくらの』 ©鬼頭莫宏/小学館

参考文献:畑中章宏『死者の民主主義』(トランスビュー)
アンケートデータ:% (n=291) * 複数回答あり

7. ランド

高い山に囲まれた農村で、四方にそびえ立つ巨大な神像に囲まれて暮らす人々の社会を描いた山下和美の『ランド』は、「神の存在によって守られる共同体の秩序」という構造をアイロニカルに描き出しています。宗教や信仰心は、一体どのような背景から生まれ、またどのように人々のあいだで定着していくのでしょうか。
「死んだら極楽浄土へ」といった浄土思想が日本で広まったきっかけは、平安末期から鎌倉時代で興起した日本仏教の変革(鎌倉仏教)によるものでした。「厳しい修行をせずとも、念仏を唱えればよい」と説いた法然の浄土宗、身分や男女、信心の有無すらも区別せず、後に踊り念仏を広めた一遍の時宗など、当時の変革者たちによってそれまで貴族中心だった仏教が民間へと広まっていったのです。その背景には、長く続く飢饉や戦乱の世がありました。現代もさまざまな災害やパンデミックが起きていますが、こうした状況下で人々は、どんな「死後の世界」を思い描くのでしょうか。この先、人々の魂はどこへ向かうと思いますか?

『ランド』 ©山下和美/講談社

8. トーマの心臓

マレーシア領ボルネオ島の狩猟民プナンでは、人間とは「身体・魂・名前」の三要素からなる存在であると考えられています。そのため、プナンでは人が亡くなると故人の持ち物や写真はすべて焼かれ、その人の名前も死後一切口に出してはならないなど、死者の記憶に関わるものはすべて徹底的に抹消されます。しかし人類学者の奥野克己は、この行為がかえって、食事を終えた夕暮れなどの時間に否応なく「死者の記憶=魂」が呼び起こされ、「知覚から情報をすべて抜き取った純粋記憶に入っていく」時間が生まれるのだと指摘します。
萩尾望都の『トーマの心臓』もまた、「死者の記憶」を主題とした物語です。トーマという少年の自殺から始まるこの物語は、透明な季節を過ごすギムナジウムの少年たちを通じて、人間の普遍なる愛と魂の救済を描いています。過去の己の罪の意識から深く心を閉ざしていたユリスモールは、トーマが自分に託した死の意味を知ったとき、初めて自身を赦し、愛を受け入れることができました。それはトーマの記憶=魂が、彼のなかで「純粋記憶」として立ち上がった瞬間だったのかもしれません。            

​​『トーマの心臓』 ©萩尾望都/小学館

参考文献:奥野克己『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』(亜紀書房)

9. 展覧会「END展 死×テクノロジー×未来=?」(HITE-Media) メインビジュアル
五十嵐大介

書籍『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』発表作品(ビー・エヌ・エヌ、2021)

4F 死とテクノロジーのはざま

10. 青野くんに触りたいから死にたい

付き合いはじめた彼が、ある日突然亡くなってしまったら? 椎名うみの『青野くんに触りたいから死にたい』は、急死してしまった青野くんが、彼女の優里のもとに幽霊として現れることから物語が始まります。絶対にふれあうことのできない2人ですが、物語が展開していくうちに、幽霊である青野くんと深く関わるためには、いくつかの契約(ルール)を必要とすることがわかってきます。その切ない契約は、今後テクノロジーの発展次第で故人と「再会」できる日が来ても、そこには一定のルールや境界が必要となること、決して死者と生者は同じ世界で交われないことを示唆しているかのようです。

『青野くんに触りたいから死にたい』©椎名うみ/講談社

11. 亡くなった家族とVRで再会できるとしたら?

2020年3月、韓国MBCが放送した『Meeting You』は、2016年に幼くして病気で亡くなった娘をCGで再現し、VR上で再会する母親を追ったドキュメンタリー番組です。VR空間では、亡き娘が野原を走り回り、髪をなでようと手を伸ばすと、頭を傾けたり表情を変えたりするといったインタラクションが発生します。VR制作を手がけたVIVE STUDIOは、母親がどんなことを望んでいるかをヒアリングするなかで、その子の癖や行動などを演出に加えていきました。また母親の心身にトラウマを残す可能性にも考慮し、家族やセラピストと長時間にわたるインタビューを重ねていったそうです。

もちろん、こうしたテクノロジーの使い方には倫理的な問題が必ず付いて回ります。あなたなら、亡くなった家族とVR上で再会したいと思いますか?

12. AIでよみがえる銃乱射事件の被害者

2020年、アメリカ大統領選挙を控えた10月にYouTubeで公開された動画『UnfinishedVotes.com』は、銃乱射事件の被害者のひとりをAIでよみがえらせ、投票を呼びかけるプロジェクトから生まれました。2018年、アメリカ・フロリダ州の高校で発生した銃乱射事件では、生徒と教師含めて計17人が亡くなっています。被害者のひとりであるホアキン・オリバーさんの両親は、知人らの協力を得て息子の顔をAIで復活させ、これまでの銃社会を終わらせるため、アメリカ中で投票を呼びかけるキャンペーンを始動しました。動画上に現れたAIのホアキンさんは、「どうかぼくの代わりに投票してほしい。銃業界に流れるお金よりも、人の命を尊重する政治家に投票を」と訴えています。

13. 「ようこそ! わたしの葬儀へ!」うめ(小沢高広・妹尾朝子)

書籍『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』発表作品(ビー・エヌ・エヌ、2021)

14. あなたの死後、SNSのデータはすべて残してほしいですか?

転生したらスライムだった件

情報社会学者の折田明子らが大学生60名に行った調査によると、自分の死後、PCやスマホのデータを「削除したい」派は「残したい」派の数を大幅に上回りましたが、家族の写真やLINEのやり取りなどは「残したい」と回答する人が多かったそうです。複数の人々と同時にやり取りをするネットでは、誰の意志によってデータの管理を行うかが複雑な問題となっています。
いまから約150年前、生前まったく無名の画家だったゴッホは、生前弟のテオに651通もの手紙を書きましたが、それらはいま「ゴッホの手紙」として出版され、いまも世界中で読まれています。けれど、もしゴッホが現代を生きていたら? 注目される対象は、彼のTwitterの投稿やFacebookのメッセージになるのかもしれません。「異世界転生もの」のブーム再燃の契機となった『転生したらスライムだった件』は、普通の会社員だった三上悟が、通り魔に殺された後に異界のスライムに転生する物語です。「PCのデータはすべて消してくれ」と最期に告げた彼はその全記憶を持ったまま転生しますが、前世のゼネコン勤務経験が異世界で役立ったりもします。自分の死後、どんな痕跡やデータが役に立つかは、誰にもわからないものなのかもしれません。

『転生したらスライムだった件』 ©川上泰樹・伏瀬/講談社

アンケートデータ:% (n=1000)

15. もし死者に会うことができるとしたら、会いたいですか?

オートマン

1818年、イギリスの小説家メアリー・シェリーが発表した小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』は、科学者フランケンシュタインが死体をつなぎ合わせて、生きた怪物をつくりだす物語です。世界的によく知られたこの物語から200年が経ったいま、VRやAIなどのテクノロジーを用いれば、ある程度のレベルで故人を「再現」することは可能になりました。
柞刈湯葉・中村ミリュウの『オートマン』でも、プラスチック製の有機人形にヒトの「原形質」を注入することで動き始める産業ロボット「自動者(オートマン)」が登場します。このロボットメーカーではたらく主人公は、同僚の青年が「自動者」の仕組みを応用して、家族の復活を試みようとすることを知ります。これもあくまでデータ上の「復活」ではありますが、今後デジタル空間であれば、家族や親しい人と再会できるようになるのかもしれません。そのとき、あなたはどんな選択をするでしょうか?

『オートマン』©柞刈湯葉・中村ミリュウ/講談社

アンケートデータ:% (n=1000)

16. 「デジタルヘヴン」ハミ山クリニカ+宮本道人

書籍『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』発表作品(ビー・エヌ・エヌ、2021)

17. AIによって自分の将来を予測したり、生き方を示してほしいと思いますか?

預言者ピッピ

最近ではAIを教育支援の一環として導入するケースが増えています。たとえば個々人の学習状況や成績などのデータから一人ひとりの学習レベルをAIが分析し、それぞれに合った学習方法や得意教科を伸ばすアドバイスを送るといったものもあれば、他にも医療の現場などで患者の診断にAIを導入するような事例も増えています。
地震を予測し、人類を災害から救うために開発されたAIロボット・ピッピを主人公に物語が展開する地下沢中也の『預言者ピッピ』では、ピッピがあらゆる未来の事象を正確に予測していきます。しかし人々はピッピを信じるあまり、たとえどれだけ不幸な「予測」が出たとしても、それが正しい予測だったと証明されることのほうを期待するようになっていきます。AIが導き出す結果は、それまで考えてもみなかったような選択肢が与えられることもあれば、かえってAIの出す答えが絶対の正解のように思ってしまうこともあるでしょう。AI時代におけるわたしたちの意思決定は、今後ますます複雑化していくのかもしれません。

『預言者ピッピ』©︎地下沢中也/イースト・プレス

アンケートデータ:% (n=1000)

18. 過去の偉人の知性や人格をAIで復活させて国を統治できるとしたら、賛成ですか?

サイボーグ009
クロスボーン・ガンダム

世界に武器を撒き散らし、戦争を引き起こす死の商人の組織「黒い幽霊(ブラック・ゴースト)団」によって、自身の身体をサイボーグに改造されてしまった9人の戦いを描いたSFマンガの金字塔・石ノ森章太郎の『サイボーグ009』。その「地下帝国“ヨミ“編」の終盤、敵であるブラックゴーストが実は3つの脳だけの構造体だったことが明かされます。その正体は、決して消えることのない人間の欲望と悪意そのものでした。
一方、ときは宇宙移民時代、宇宙海賊と木星帝国の戦いが主題となる『機動戦士クロスボーン・ガンダム』にも、自身の人格を機械に移植した独裁者が登場します。いずれも悪役として描かれていますが、今後の技術次第では、実際に人格の一部をAIで再現することが可能になるかもしれません。たとえばある企業のCEOの経営判断の経緯や発言データを学習させることで、故人の意志を継承するかのような結果を導き出すAIが登場してもおかしくないでしょう。そのとき、この社会にはどんな倫理観が必要となるのでしょうか。

『サイボーグ009』石ノ森章太郎 ©石森プロ

『機動戦士クロスボーン・ガンダム』(KADOKAWA)
原作:富野由悠季 漫画:長谷川裕一 原案:矢立 肇 デザイン協力:カトキハジメ ©創通・サンライズ

アンケートデータ:% (n=1000)

19. 人が操作していない機械の誤作動で人が亡くなった場合、それは誰も責任の取れない事故として扱われるべきでしょうか?

EDEN 〜It’s an Endless World!〜

自動運転車などが実装されていくとき、大きな争点となるのが「誰が事故の責任を取るのか」という問題です。現時点で、自動運転の「レベル3(主な運転操作は機械主体が行うが、状況に応じてドライバーも運転する状態)」の段階では、事故の責任は概ねドライバーが負うという方針になっています。しかし、今後より複雑な状況下でも自律的に判断できるAIが実装されれば、その責任の主体はどこになっていくのでしょうか。それは機械の精度のみならず、機械を操作しているときの人の心理状況や判断能力など、改めて人間や機械との本質な違いを見定めるが必要になってきそうです。

遠藤浩輝の『EDEN 〜It’s an Endless World!〜』では、暴走して人を殺めてしまったロボット、ケルビムが登場します。ケルビムに罪の意識を問うエノアに対し、ケルビムはこう答えます。「より『人間』に近づく事をAIの目的とするのならば、『人間』とはそもそも一体何なのでしょう?」。

​​『EDEN 〜It’s an Endless World!〜』©遠藤浩輝/講談社

アンケートデータ:% (n=1000)

20. たかくらかずき

hardwere tomb “FPS”


日本各地に多く残る墓参りの風習では、お盆になると先祖の魂が帰ってくると言われています。そこでの墓参りという行為には、目には見えず、実体のない「魂」の存在を感じるプロセスが含まれていると言えるでしょう。「墓をハードウェアだと考えれば、魂はソフトウェアと捉えられる」と主張するアーティストのたかくらかずきは、人の生死にまつわる宗教観や風習を、現代のテクノロジー環境になぞらえてアップデートを試みる『アプデ輪廻』シリーズを展開しています。展示している『hardwere tomb “FPS”』は、USBを装着したレゴブロックで「墓」をつくり、USBデータ内に保存された映像をモニター上に映し出しています。また魂としてのデータの改ざんを防ぎ、容れ物としての墓石とを強くつなぎ止める仕組みとして、ブロックチェーンを利用しています。魂もデジタルデータも、決して触れることのできない無形の存在であると考えれば、これからはデジタルデータも信仰の対象となるような神秘性を帯びるときがやってくるかもしれません。

21. 攻殻機動隊

脳の神経ネットにデバイスを直接接続する「電脳」をはじめ、身体の一部を義体化するサイボーグ技術など、テクノロジーが高度化した近未来の日本を描く士郎政宗の『攻殻機動隊』は、情報テクノロジーのもたらす未来を考える上であらゆる示唆に富んでいます。とりわけ重要なのは、どれだけ脳や身体が機械化されても、さまざまな生命のなかに「ゴースト」が存在するという概念でしょう。しかし、AI搭載のロボット・フチコマには果たして「ゴースト」が存在するのでしょうか? 数々のSFで描かれる「ロボットの反乱」をユーモラスに描いたエピソードでは、後にその「反乱分子の行動」すらも、主人公・草薙素子によってプログラムされていたことがわかります。しかし、ときに発生する機械の「バグ」は、新たな発見と進化を導くのかもしれません。

『攻殻機動隊』©士郎政宗/講談社

6F 生きる/自然と信仰

21. 「すべてここから生まれ ここへ還って行く」 諸星大二郎
 ©Daijiro Morohoshi 2021

書籍『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』発表作品(ビー・エヌ・エヌ、2021)

22.「遠野物語」より  五十嵐大介

書籍『RE-END 死から問う問うテクノロジーと社会』発表作品(ビー・エヌ・エヌ、2021)

23. 海獣の子供

五十嵐大介の『海獣の子供』は、海辺の街で暮らす少女・琉花と、ジュゴンに育てられた海と空という名の2人の少年が出会い、深い海の底で生命の原初を目撃する神話のような物語です。この世界から姿が消えることと、生命が誕生すること、この2つの大いなる不思議をめぐって物語はダイナミックに展開していきます。
世界各国の神話を研究する人類学者の石倉敏明は、神話とは、「生と死という解決のつかない世界の矛盾に対して、さまざまな物語によって応答しようとする」ものだと語っています。そう考えると、神話をはじめ、映画や文学、そしてマンガといった多くの物語を通じて、わたしたちは日常のなかで死とふれあう時間を育んできたといえるでしょう。その生と死が交差する絶え間ない連鎖に思考を委ねるとき、石倉の言葉を借りれば、「わたしたちは自分自身が神話上のトリックスターとなって、すでに未来の死を生きている」。あなたにとって未来の死とは、どんな姿をしているでしょうか。

『海獣の子供』 ©五十嵐大介/小学館

参考文献:石倉敏明「生と死をふくむ風景」『RE-END 死から問うテクノロジーと社会』(ビー・エヌ・エヌ)より

24. 葬儀場や遺体安置所など、死を想起する場所は居住空間と分けるべきでしょうか?

リバーズ・エッジ

全国に葬儀場は4000以上、火葬場は7000以上あると言われています。高齢化社会を迎える日本でその数は増えていくように思えますが、昨今は葬儀の低価格化とそれに伴う価格競争が進み、倒産を余儀なくされる事業者も一部増えています。かつての大規模な葬儀よりも、親族だけを集めたコンパクトな葬儀へのニーズが高まり、その傾向はコロナ禍以降ますます顕著になっているようです。そうしたなか、日常的に「死」が想起される空間はますます減っていくのでしょうか。1990年代のモードを象徴する青春マンガとして名高い岡崎京子の『リバーズ・エッジ』には、ゲイの少年・山田一郎が河原で見つけた死体を「宝物」と呼ぶシーンが登場します。工業化された郊外の街で暮らす少年少女にとって、生や死へのリアリティが希薄になっていく世界の情景を、岡崎京子は「平坦な戦場」と呼びました(元の言葉はウィリアム・ギブスンのSF小説によるもの)。「平坦な戦場」で生きる彼らにとって、「死体」という物質が放つ抗いようのない生々しさは、自身の生と直結する生々しいリアルを感じる存在だったのかもしれません。

『リバーズ・エッジ』©︎岡崎京子/宝島社

アンケートデータ:% (n=1000)

25. どんな葬送の方法がいいですか? 

よろこびのうた

現在の日本は99%が火葬ですが、宗教上の理由などから土葬が一般的な国も数多くあります。日本も明治初期までは土葬が中心でしたが、戦後の高度経済成長によって都市のスペース不足が深刻化し、火葬が一気に広まりました。火葬場で焼身自殺を遂げた老夫婦の謎をめぐって物語が展開するウチヤマユージの『よろこびのうた』では、「土に還る」といった先祖代々の土地を守る人々の死生観が語られます。しかし、暮らす土地への帰属意識も変化するいま、わたしたちはどのような場所へ「還る」ことができるのでしょうか。
近年では、墓石の代わりを樹木とする「樹木葬」や、人間の遺体を堆肥にする「堆肥(コンポスト)葬」が注目を集めています。2019年にアメリカ・ワシントン州で法案が可決された「堆肥葬」は、ウッドチップで敷き詰めた棺に遺体を置き、微生物の力によって分解させるというもの。多くの二酸化炭素を排出する火葬や、土壌汚染を招くおそれのある土葬ではなく、環境負荷をかけず真の意味で「自然に還る」葬法は、今後世界的なスタンダードになっていくのでしょうか。

『よろこびのうた』©ウチヤマユージ/講談社

26. 死後、自然物の一部になりたいですか?

宝石の国

ネイティブアメリカンにとって石は神秘的な力や魂が宿った超自然の存在とされ、また同時に古代の知識を蓄えた長老(オールド・ピープル)と考えられていました。石を神聖視するのは全世界的にみられる傾向であり、また人が生きた痕跡を墓石として石に刻んできました。それは人間の限られた生命の時間を超えて存在し続ける石に、自分たちの生を託してきたのかもしれません。
「宝石」の体を持つ生命体たちと、彼らを襲う謎の「月人」との戦いを描いた市川春子の『宝石の国』には、死と生の連鎖を想起させる示唆的なセリフが多く登場します。寿命や老化、生殖能力を持たない宝石である主人公フォスが問いかける、「死ってどういうもの?」と問いかけに対し、海中で暮らすアドミラビリス族の王は、「生を価値あるものにする」ものだと答えます。

『宝石の国』©市川春子/講談社

27. 死後、自然物の一部になりたいですか?

ゴールデンカムイ

明治末期の北海道を舞台に、日露戦争帰りの元軍人・杉元佐一とアイヌの少女・アシリパが、伝説の金塊をめぐって冒険を繰り広げる野田サトルの『ゴールデンカムイ』。個性的すぎるキャラクターたちの思惑の絡み合いや、疾走感にあふれたバトル展開などで人気を博す本作は、同時にアイヌ文化をいまに伝える傑作としても高く評価されています。
アイヌの人々は、万物すべてに魂が宿ると考え、人間を取り巻くあらゆるもの(動物、樹木、道具、石や火など)をすべて「カムイ」として敬います。たとえばわたしたちが日々食べているものは、何らかの他者の命であり、アイヌにとってはカムイです。カムイは「神」と訳されることが多いのですが、『ゴールデンカムイ』の監修も務めるアイヌ語研究者の中川裕は、カムイを「環境」として捉えたほうが、人間が自分をとりまく環境と良い関係を保つ上で重要な考え方であることがわかると指摘します。しかし現代の人間は、死後、カムイ=環境になることはできるのでしょうか? アイヌの少女・アシリパが杉元佐一に投げかけるこのセリフは、現代社会を生きるわたしたちにとっても示唆に富んだ一言です。

『ゴールデンカムイ』©野田サトル/集英社

参考文献:中川裕/イラスト・野田サトル『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社)

28. ノガミカツキ

Image Cemetery
Image Planting

いまあなたのスマホのなかには、何枚の写真データがあるでしょうか。日々蓄積されていく自分や友人、家族の写真データは、無限に溜まっていくようにも感じられますが、一度も見返さないような写真も含めて、いつかは記録媒体の寿命に応じて消えてしまうものがほとんどでしょう。アーティストのノガミカツキは、自身の顔写真を石や植物にプリントすることで、SNSなどで消費されがちなデジタル画像を異なる物質に憑依させることに試みました。そこでは作家自身が長年抱いてきた肌に対するコンプレックスや、年月の経過とともに感じる死への恐怖から、3年間にわたってスキャナで記録した自身の「肌日記」が使われています。石に自身の顔をプリントした『Image Cemetery』は、文字通りイメージの墓石であり、人間の有限の生の時間をはるかに超えて、およそ千年先にも残すことのできる魂の記録媒体です。一方、植物に顔をプリントした『Image Planting』は、いずれ枯れてゆく自然物に自身を憑依させることで、人間よりも短い生命のサイクルに魂を委ねています。インターネット社会における自らのアイデンティティもまた、原始的な自然物へと回帰していく時代がやってくるのでしょうか。

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29. Mikiko Kamada

TIMELESS⇄/flower compost

死を迎えた人間の身体は、葬儀などを通して、この世界から消失したものとみなされます。その後、死者は「永久に変化しないもの」として、人々の記憶や想いのなかにのみ存在していくのが常です。一方、自然界においては、生物の身体は死後、幾重ものステップを経て完全に分解され、土に還っていきます。植物研究者でありプランツディレクターのMikiko Kamadaは、その死と分解のプロセスを「後ろ向きの変化」と呼んでいます。
花が微生物によって分解されていくステップを可視化する作品『TIMELESS⇄/flower compost』は、微生物も人間と同じように地球の重要な構成要素であり、自然界の循環の輪のなかにいることを鑑賞者に強くインストールする試みです。その朽ちていく花とともに、たとえば誰かの思い出や身体の一部と感じられるような物質をこのコンポスト(堆肥)内に葬ることで、死者の一部が時間の経過とともに分解され、常に瓶内の様子が変化していくことを感じ取ることができるでしょう。一方、わたしたちの身体もまた、絶え間なく変化を続けています。この作品は【死者との時間は、現在の自分自身の姿とともに記録されることでアップデートされる】との考えから、前向きな変化を続ける生命体である鑑賞者が必ず写り込んでしまうように設計されています。わたしたちが「死」という現象を受け止めるには、どれだけの時間が必要となるのでしょうか。

30. ヤマタイカ

沖縄最大の聖地・久高島の巫女である神子(みわこ)を中心に据え、日本列島の歴史観にゆさぶりをかけるSFマンガ『ヤマタイカ』。1700年前から60年に一度この国で行われてきたとされ、火の民族(縄文人)たちのルーツとなる狂乱の祭り「ヤマタイカ」の復活をめぐって、神子たちは日本全国をかけめぐります。クライマックスに近づくころには、青森のねぶたから徳島の阿波おどりまで各地の祭り文化が集結し、祭りの熱狂が日本中を満たしていきます。毎年10月に世界中が熱狂するハロウィンもまた、元々はケルト文化における「死と再生」を願う祭りでした。世界各地に存在する祭りは、厳しい環境のなかでも、明日を生きようとする人々の生命力を支える文化装置だったのかもしれません。死と生をめぐる祭りの文化は、人から人へ、世代を超えていまも受け継がれています。

『ヤマタイカ』©︎星野之宣/潮出版

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