パーソナルデータ
社会を
読み解く

新たに訪れるデータ環境は
社会をどう変えていくのか

ビッグデータ社会の到来から早数年、今後は個人のあらゆるデータが収集され、また活用されるパーソナルデータ環境の構築が進んでいます。その環境を社会はどう受け止めるのか、ターゲットビジネスからデータ保護に関する新たな法令まで、議論はますます加熱する現在。この問題に取り組む三者に話を伺いました。

柴崎亮介
東京大学空間情報科学研究センター 教授
「データポータビリティ時代におけるパーソナル情報の
ワイズ・ユース実現支援プラットフォームに関する研究」

國領二郎
HITE領域総括
慶應義塾大学 総合政策学部 教授

橋田浩一
東京大学 大学院情報理工学系研究科 教授

— 橋田先生、柴崎先生のご自身の研究活動と、HITEで採択されたプロジェクトについて教えてください。

柴崎亮介(以下、柴崎): 私の専門である「空間情報科学」は、人と社会が空間を媒介にしてどのように関わり、変容するかを見ていく学問です。いま、個人が自分の情報を管理する「データポータビリティの権利*1」がヨーロッパから生まれ、これまで誰も経験したことのない情報環境が生まれつつあります。HITEのプロジェクトではそうした新しいデータ環境を技術的につくることで、人々は自らのパーソナルデータをどう使うのか、あるいは使わないのかを観察していきたいと考えています。といっても、人間行動の解析をしてきた立場としては、せっかく技術的に利用可能になったパーソナルデータを使わないのはもったいない。人々がパーソナルデータを積極的に使うようになるには、どんな環境が必要かも検証していくつもりです。

橋田浩一(以下、橋田): 学生時代から自然言語処理やAIの研究に携わり、長らくAIブームの盛衰を見てきました。昨今の第3次AIブームが起きた背景に、ビッグデータが使えるようになってきた状況があるのは明らかですが、まだまだ個人のデータが十分に活用されているとは言い難い。世界中で人間の活動のほとんどは個人向けサービスであることから、今後はパーソナルデータの活用が大きな価値につながると考えています。そこで、パーソナルデータを使って個人のニーズと事業者が提供するサービスをマッチングさせる方法とは何か、そこではどんな仕組みが必要になるのかを探求するプロジェクトを立ち上げました。主には、技術的な検証というよりも社会受容性の観点から考えていきたいと思っています。

— HITE領域総括の國領先生から見て、これからのパーソナルデータ利用で議論となるポイントは何でしょうか。

國領二郎(以下、國領):  情報には、モノとは異なる二つの顕著な特徴があります。ひとつは組み合わさったときに価値が高まること。そして、複製コストが限りなく小さいことです。しかしこれだけ情報に溢れた社会になっても、ここ150年間の近代社会は「個人がもつ所有権を交換する」というモノに依拠したモデルで構築されたままです。今後ますますのパーソナルデータが増殖するなかで、真の意味で情報の価値を活かす仕組みを考えなければいけません。
 そのとき大事なのは、理論だけではなく、現状のテクノロジーが実際に何を可能にするのか、そしてその基盤でビジネスモデルが成立するかどうかも考える必要があるということ。こうした現実感を持ち合わせながら、パーソナルデータのこれからを考えていく必要があります。

何のためのデータ?

— 「データポータビリティの権利」といっても、その活用例はまだまだ一般の消費者にとって想像しにくいものだと思います。具体的にはどんな事例が考えられるでしょうか。

橋田: わかりやすいのはヘルスケアや教育の分野ですね。医療機関の間で診療データを共有できるようになると、より安全で効果的な治療が受けられるようになるでしょう。たとえば複数の医療機関にかかってたくさんの薬を処方されているお年寄りも、実際はほんの数種類で充分だったというのはよく聞く話です。
 また個人がこれまでの教育や職歴に関するデータを自身で管理できるようになることで、キャリア形成が有利になることも考えられます。介護の現場などではスキルが明文化しにくく、様々な現場での経験が記録に残らないという問題があります。こうした複雑な経験値を細かくデータ化して証明できるような仕組みも考えられます。

國領: 就職活動などで自発的にデータを見せる仕組みの場合、自身のデータを見せたくない状況も出てくると思います。データは網羅的に扱える仕組みがないと意味をなさないのでは?

橋田: 保険申請などの場面にもいえることですよね。「隠すからにはそれなりの理由があるだろう」と判断されてしまう社会になるのか、はたまた国勢調査のように強制的にすべての人にデータを提出させる仕組みにするのか。そのあたりはどのような制度設計をするかの問題にかかってきます。

柴崎: 制度設計は、人々がどんなルールなら受け入れてくれるか、という点から考えるべきだと思います。「データを出さなくても構わないけど、出さない理由はこちらで判断するから」と言われてしまう社会は、個人的にあまりいい感じはしないですね。履歴書の場合でいえば、学歴は網羅的に書くことが求められるけど、特技などは書かなくてもマイナスにはならないとか、そうした使い分けに関する共通認識が、社会全体で磨かれていく必要があると思います。

國領: パーソナルデータを本人「だけ」がもつのがいいのか、または公的機関などと共有で本人「も」もっていればいいのか、という点も大きな違いです。

橋田: それはきっとデータの種類によりますね。最近は行動・購買履歴などのデータを事業者が一括管理する「情報銀行」が話題になっていますが、そこには決して預けないような種類の情報ってあるじゃないですか。それこそ前科があるとか、浮気をしていたとか。そうしたプライベートな情報は本人だけがハンドリングできる種類のデータになるのでしょう。

個人のためか、社会のためか

— 個人にとっては不利益な情報でも、社会全体には効果的に使える場合もあるのでしょうか。

橋田: 社会にとって効果的かどうかは、まず何を最適化するのかを問わなければいけません。GDPの最大化を意味するものなのか、経済以外の視点もあるのか。もちろん、あらゆるデータを利用可能にすることで何らかの効率は高まるでしょう。そのときに個人の幸福が損なわれていないか、どうすれば個人と社会が両立するかも考えなければいけない。これはもはやテクノロジーだけの問題ではないので、社会受容性の収束する地点を見極めなければいけないのだと思います。

柴崎: パーソナルデータをうまく使うための環境を考えるのは、まちづくりに似ています。「自分の土地だからどう使おうが勝手だ」という態度が街全体のためには必ずしもならないように、「自分のデータだから自由に使える」という態度も、社会のためにならないでしょう。なぜなら、個人の情報には必ず周囲の人々のデータが含まれているからです。では、社会としてどのように賢くデータを使う環境を整えていくかを考えるという意味で、HITEのプロジェクト名には「ワイズ・ユース」という言葉を使っています。
 また、先ほど國領先生から「データは組み合わさると価値が出る」というお話がありましたが、組み合わせによって生まれる価値を測る「インディケーター(指標)」も必要になるのではないでしょうか。いまの日本社会では、膨大なデータのほとんどが活用されていません。一方でエストニアのような国は、データの総量は日本より少ないにもかかわらず大きな価値を生んでいます。「パーソナルデータにおけるGDP」のような指標も、これからの社会には必要でしょう。

橋田: 私はもともと、従来のようにパーソナルデータを事業者や公共団体が管理するのではなく、個人ベースでどんなデータも使えるようにならないか、と思ったのが研究の出発点でした。しかし消費者一人ひとりのために市場のデータを集めるには、どうしても”個人を超えた力”が必要になる。逆説的ですが、個人の力を最大化するためには「個人よりも大きな仕組み」が必要になるのです。今回のプロジェクトでは、そうした個人と市場をつなぐ「メディエーター(媒介者)」としてのプラットフォームについても検証したいと考えています。

— ヨーロッパ的なデータポータビリティでは、パーソナルデータは個人が所有し、それを個人が管理するべきという考え方がありますが、一方でそうした「大きな仕組み」は社会における環境のひとつと考えることもできるのでしょうか。

柴崎: 空間情報科学の研究対象には、森林破壊のような環境問題から携帯のログを集めるといったリサーチまで色々あるのですが、そこで見えてくるのは環境次第でいかようにも変化する人間の行動です。たとえば現地の農民によって起きたアマゾンの森林破壊は、土地の利子率が非常に高くなったため、長期的に持続可能な農業開発をするよりも、森林を焼いて手っ取り早く利益をあげたほうが合理的になったことが背景にあります。人間の集団の行動というのは環境に依存し、ある節目ごとに大きく変化していきます。アマゾンの例でいえば、利子率が高いと森林保全なんてのんきに考えていられないけど、すごく低ければ持続可能な農業に価値が生まれるかもしれない。そのように、今後新たな資源となるデータを、人がどのように使えるかという環境から考える必要があると思っています。

データを収集するのは誰か

— パーソナルデータ活用が当たり前となる時代、人々にはどのようなリテラシーが求められるのでしょうか?

橋田: もちろん個々のリテラシーはあったほうがいいと思いますが、これからのデータ管理はAIエージェントに任せるのが最適だと思っています。自分のところに集約されるすべてのデータを管理し、なおかつどのデータを誰にどう見せるかなんて、ひとりで考えられることではありませんから。

國領: そのときの「AIエージェント」が、個人がもつエージェントなのか、コミュニティとしてもつエージェントなのか、あるいは購買代理なのか販売代理なのかでイメージはだいぶん変わってくると思います。購買代理は、市場のデータを集めて個々人に対して適切なリコメンドをするというやり方。たとえばある商品の価格を比較評価するサイトなどがそうです。それに対して販売代理とは、サプライする側が個人データを集めることでターゲットとなる顧客にものを売る方法です。かつてeコーマスが登場した頃に、経営学の界隈では販売代理と購買代理のどちらがいいのかという議論がよく行われました。

橋田: その議論の結論は?

國領: 消費者にとっては購買代理のほうがいいだろうと言われていましたが、結果として販売代理であるターゲティングマーケティングの圧倒的パワーに負けた、というのがここ10年くらいの状況ですね。

柴崎: そう考えると、たとえばAmazonで買い物をするときに「本当にこれって買うべき?」と迷ったときの相談に乗ってくれるような購買代理を行うエージェントはまだないですよね。それは経済的に成り立たないからでしょうか。購買代理のエージェントとは、自分の行動をすべて記録し、「何を買うべきか、食べるべきか」などの選択も適切に判断してくれる優秀な秘書のようなものだとしたら、その秘書にどれだけ給料を払うかを想像すると、購買代理の価値が見えてくるかもしれません。ただ、その秘書が本当に自分のことを思ってリコメンドしてくれているかどうかは図りかねますが、そこはテクノロジーに期待するというか。

橋田: そこで人間が相談に乗るのではなく、AIが相談に乗るような仕組みにならないと次のビジネスにはならないと思います。

國領: 実際にBtoBの世界ではすでに購買代理型のエージェントも存在しています。そしてこれからの個人と市場をつなぐAIエージェントを考えるにあたって参考になるのが、「クラブ型」の購買代理モデルでしょう。個人に対して購買代理をするのではなく、コミュニティの代理をする、言うなれば農協のようなもので、特定の属性をもつ人々のためのコミュニティです。いま情報銀行への登録は個人個人がばらばらに行っているけれど、もしかしたら農協のような団体モデルのほうが情報のコレクティブ(集合体)に意味が生まれてくるのかもしれない。

橋田: たしかに農協の組合員が提供する農作物データなどは、農協が集めることに価値がありそうですね。また同様に、農協が同じ地域に住む人々の購買をサポートする「地域のメディエーター」になるという可能性もあるかもしれませんね。

社会制度には“遊び”が必要?

— 中国では信用スコア*2をはじめとする、データ監視社会が実装されつつあるともいわれます。一方、国家を中心とした強力なデータ管理システムを構築することで、よりスムーズになる一面もあるという見方もある。中国におけるデータ社会の現状についてはどのようにお考えでしょうか?

橋田: 個人のデータと、それを社会的評価にどう結びつけるかという問題はとても難しく、いまに始まったものでもありません。パーソナルデータ活用の拡大に伴って、昔からある問題が再び注目されているに過ぎないという気もしています。問いの矛先が変わってしまうかもしれませんが、中国はクレジットスコアの導入と同時に、ほぼGDPR*3に相当する個人情報プライバシー標準を採用しています。つまり政府は国民の情報を管理するけれど、民間同士ではヨーロッパ流のやり方で個人のデータを守りながら活用させようとしている。一面的に中国のやり方を「管理国家」と捉えているだけでは議論は進まないと思います。

柴崎: 選択可能性の有無にも関わってきますね。データが独占管理されていて、それ以外選びようがない状態なのかどうか。どんな社会システムや経済市場にも、必ずルールがあり、競争原理が働いているべきです。たとえ国家がデータ管理を主導していたとしても、政権交代によって人が入れ替わることもある。中国の最大の問題は、国家主導かどうかよりも、現政権の共産党から絶対に変わらないことでしょう。

橋田: 中国は何を目的にしているのでしょうか。経済成長なのか、データに基づく国家運営なのか。

柴崎: それは難しい問題ですね。基本的には共産党のガバナンスを続けるようとしているようには見えますが。

— 話を戻すと、中国では信用スコアによってマナーが向上したという面もある一方で、信号無視のような軽微なルール違反の記録まで取って社会信用の向上に活用しているという事例もあります。すべてがデータ化され、社会信用につなげられる社会に息苦しさを感じることもあるのではないでしょうか。
國領: 何かしらルールを設計するとしても、程度の問題は重要でしょうね。 

柴崎: 信号無視がカメラで自動的にカウントされるとして、みんなが数十回目くらいになるとお互いにいい加減になるかもしれません。ぼくはもう58回目だけど、橋田先生はまだ30回ですか? とか(笑)。

橋田: また融通をどこまできかせるかについて、制度がどのような意図のもとで設計されているかも重要ですね。厳格なシステムを目指した上で生じた「隙」なのか、あるいははじめから「隙」があるように設計されたシステムなのか。また、その隙間の程度も問題です。ある説によれば、日本でも裏社会のマーケットはGDPの9%にあたるそうです。そう考えると実は日本は、まだまだ国が厳格に管理を進めるべき余地のほうが大きいのかもしれません。

— 個人データと社会評価に関していうと、とある銀行のスコアサービスでは、健康に気遣い、ビジネス書をよく読むと評価が上がる仕組みになっているそうです。それもひとつの価値観だとはいえますが、データ社会における評価基準は今後どうあるべきでしょうか。

橋田: そこにはかなり検討の余地がありそうですね。ただ、個人の努力を促すような設定であれば、価値はあるんじゃないでしょうか。たとえば最近は、運動すればするほどポイントが貯まる健康保険の商品などが出てきていますが、そこでは結果にフォーカスしていない。つまり、実際に健康になったかどうかは考慮せず、努力の量だけを評価するんです。これはけっこうポジティブに受け止めていて、今後パーソナルデータについても「努力のみ」を評価することで、努力ではどうしようもない個人差によって不利が生じる状況が避けられると思うからです。

柴崎: どんなスポーツクラブに行っても、「さっき来たお客さんと比べて、あなたの筋肉量は…」なんて絶対に言われないですよね。他人との比較ではなく、その人の成長率を伝えるほうが頑張れるからです。そうしたエンカレッジメントとして働く評価方法が設計されると良いかもしれません。
橋田: いかに努力を継続させるか、人々の行動を変容させられるかということですよね。

柴崎: はい。そうしたスポーツ現場のようなエンカレッジメントを促すシステムは既に各局面で存在しているので、そこにデジタルデータが加わり、努力量も記録できると、そこで得た信頼をまた他の場面で使えるようになっていく。そうなると、排他的な権利の交換のみで動いていた経済の仕組みが変わる可能性もあるでしょう。

— しかし結局のところ、努力が善であり、「何かを増やす」方向のみに制度が設計されるのは社会的に見ると選択肢の幅が狭いとはいえないでしょうか。

柴崎: ただ、先ほどの例で言えば、決して「スポーツクラブに行きなさい」と強制させられるわけではありません。だから「何も選ばない」という選択肢も当然ありだと思います。

— 近年ではSNSによって常に情報が入ってくると、他人と比べてしまって自己肯定感が低くなる傾向もあると言われています。そうしたネット空間とは別に、パーソナルデータによって絶対評価ができる世界には別の可能性があるのかもしれませんね。

橋田: 評価という視点以外にも、個人のデータには、あの旅行でこんな写真を撮ったとか、〇〇さんと一緒だったとか、ほのぼのとした使い方もあると思うんです。個人の人生を振り返る時に、小学生時代の自分を知っている人なんて数えるほどもいなかったりする。そうした個人の儚い記憶がテクノロジーの進歩によって新たなかたちで残されることもあるのではないかと。

柴崎: 更に進歩すると、万能エージェントなAIが現れて、死後もその人らしい言葉で返してくれる未来もあるかもしれません。

— 最後に國領先生から、今後HITEとして「パーソナルデータと社会」というテーマにどのように取り組んでいくかという展望をお聞きできればと思います。

國領: GDPRのような動きにも日本としての考え方を主張してもいいはずですし、中国の信用スコアにしても、西洋的個人主義の観点から全否定しても意味がない。ではこれから、ますます概念が広がってわかりにくくなっているパーソナルデータをいかに捉えればいいのか。
 そのためにはまず、「社会は何を目的とすればいいのか」を意識しながら考えることが必要です。そしてこの問題は、情報の世界だけの話ではない。パーソナルデータを使って目指す世界をどんなテクノロジーで支えるのか。社会全体として生産システムをどのように設計していけばいいのか。そうしたテクノロジーやビジネスの問題まで含めて議論をすることで、パーソナルデータの扱い方の未来を考えていきたいと思います。

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