人新世と法 – 稲谷龍彦×宇佐美誠×水野祐 鼎談

HITE研究者

2020.09.17

人間の活動が地層レベルにまで影響を与える時代区分を指す「人新世」。急速なテクノロジーの発展と環境変動、かつてのルールが適応できなくなってきたいま、社会システムや概念そのものも大きな変容を余儀なくされている。そんな時代において、法はこれからどのように変わっていくのだろうか? 法を専門とする3人、法哲学者の宇佐美誠氏、の刑事法学者の稲谷龍彦と弁護士の水野祐氏が語った。

  • 稲谷龍彦(京都大学大学院法学研究科准教授 / 刑事法)
  • 宇佐美誠(京都大学大学院 地球環境学堂教授 / 法哲学)
  • 水野祐(シティライツ法律事務所 / 弁護士)

「人間中心主義」はもう維持できない

稲谷龍彦(以下、稲谷):まず我々が人新世と対峙するにあたり、考えるべきポイントが2つあると思っています。ひとつは、人間活動が環境に多大な影響を与えていること。もうひとつは、その環境への影響が今度は人間の活動に影響を与えることは不可避の問題として考えないといけないという点です。

議論の前提として、例えば新型コロナウイルスに見られるように、我々が制御できない環境からの不可避的な介入が、社会と人間のありように影響を与えることを直視する必要があります。つまり、これまでのように人間と環境を切り離した議論ができない、言い換えれば主体のありようは常に外部からの影響を受けるため、外的環境から独立した主体という概念を維持できないということです。

従って、人間が「理性を持った自律的主体」であることを前提とした人間中心主義はもはや維持できません。今後は、人間のあり方や人間が作り出す世界、あるいは人間の力の及ばない世界と人間の関係性を見直した上で、我々はどうするべきかを考えなければならない。そのような意味で、人新世は非常に重要な概念だと私は理解しています。

稲谷龍彦 氏
稲谷龍彦氏 (京都大学大学院法学研究科准教授)

ではそのとき、「」をどう考えていくべきなのでしょうか。法は人の意思のみならず、人工物の生成や人の環境形成に働きかけてこれを統制し、人のありように介入します。もっとも、ここには人と法自体との共進的な関係もあります。というのも、人工物や環境の場合と同様に、人は法を作り出しますが、その法によって今度は人の方が影響を受けるからです。人と広い意味での環境と法との相互構成的な関係性を視野に入れ、法を上手に設計することで、より望ましい人のありようを実現することもできるでしょう。ですから今後は、この相互構成的な関係性に着目し、どのように法を使えば、我々のより良いありようを実現しうるかという視点から法制度を設計するべきです。

人と人工物との相互構成作用についていうと、例えばかつて義足は「完全な身体を持たない人が持つもの」という比較的ネガティブな捉えられ方をしていました。しかし、今やある両足義足の女性は、義足を備えた身体の美しさを活かすことで世界的なモデルとして活躍しています。義足を堂々と示すことにより、義足は個性のひとつであり、拡張された身体であるという認識が、人々の間で広がっていったからです。このように人工物との関係性が、人のありようや認識の枠組みに影響を与えることを考慮すると、Society 5.0の到来によって人と人工物との一層の共生が進んでいくこれからの社会においては、「我々はどうありたいのか」という点から議論をスタートさせる必要がますます高まっているように思います。

従来の法は、近代西洋社会で成立した概念「自由意志を持った自律的な主体」を所与の前提として構想されてきました。けれど、この前提は今まで以上に疑わしくなりつつあります。例えば、契約関係における契約内容への「同意」一つとっても、事業者の用意する複雑な約款や電子約款、利用規約などが契約内容の多くを規律する現在、契約内容に自由意思によって拘束されるという説明は、多くの場合には完全にフィクションと言わざるを得ず、実際には消費者が「同意した」というアリバイをつくることで、責任の所在を固定化する作用を果たしているようにも思われます。いずれにしても、AIやロボットなどの人工物が人間のありように大きな影響力を持ち始めている現在、法の対象や方法論は改めて見直される必要があるでしょう。

法と人の共進化は螺旋的に起きる

宇佐美誠(以下、宇佐美):法は人間の関係を律するルールとしてつくられました。各国の法の成立を振り返ると、英米のコモン・ロー」に対して、ヨーロッパ大陸では古代ローマ法にルーツを持つ「シビル・ロー」と呼ばれます。「シビル・ロー」には民法という意味もあることから分かるように、西洋法の原型は民法であり、人と人の関係を律するものでした。会社法や国際法が世界規模で発達するのは、近代以降の話ですし、これらの法分野でも、人が集まって作る組織や国家の関係を扱っているわけです。

こうした点を踏まえると、人新世と法はふたつの意味で深く関わっていると思います。まず、近現代の法は、人新世の原因となる大規模な人間活動を制度的に可能にしてきました。科学技術の発展を妨げずにむしろ促し、市場の法制度の整備によって技術の普及を助け、さらには自由貿易の国際法秩序のもとで国境を越えた技術の普及を可能にしてきました。その結果、人間は自然環境に不可逆的な影響を与えて、これが人新世を招いています。ところが、自然環境から人間へのフィードバックが生じますから、その悪影響に対して、人間は今度は新しい法の仕組みを開発して、適切に対応することを迫られています。

宇佐美誠 氏
宇佐美誠氏 (京都大学大学院 地球環境学堂教授)

人新世の特徴となっている様々な問題のなかでも、気候変動は他のあらゆる問題と比較しても極めて深刻です。例えば、世界人口のなかで絶対的貧困にある人々が占める割合は、30年前には30%を超えていましたが、いまでは10%です。世界全体の平均寿命も、すでに70歳を超えています。もちろん、深刻な問題は引き続きあるのですが、改善してきたことは確かです。それにところが、温室効果ガスの世界全体の排出量は年々増加していて、たとえ排出量がこれから大きく減少しても、温室効果は数十年も数百年も続くことが分かっているわけです。

人新世では、人類全体の活動が地球に与える影響が問題になっているわけですから、この時代に法が果たすべき機能は、何よりもまずパリ協定のような国際的な約束です。次に、これを実行するためには、国ごとに国内法を整備していく必要があります。ここで、「法と人の共進化」がちょうど螺旋階段を上るような形で進行するという、螺旋的なイメージを私は持っています。まず、社会のなかの集団や専門家が提案したり、あるいは日本では欧米の制度を導入したりして、新しい制度ができます。次に、人々がその制度に応じた行動を取り、その行動にあった価値観がだんだん形成され広まってゆきます。そして、民主主義のもとでは、人々がどんな価値観や意識を持っているかが、次の制度の進化を規定していくわけです。

法と人の螺旋的な共進化は、立法と一般市民の行動のあいだでだけ生じるわけではありません。もうひとつ重要なのは、司法です。現在、気候変動訴訟という新しいタイプの訴訟が増えつつあります。世界全体で約1,750件あり、そのうち約1,400件はアメリカで起こっています。このような訴えに対して、それが妥当な主張なのかをきちんと判断することも、法に期待される大切な機能です。また、裁判所が訴えを認めた場合には、立法府はそれにしたがって制度を作るわけですから、司法府が重要なアクターとなった螺旋的な共進化が始まる可能性があります。

ボトムアップ型のルールメイキング

水野祐(以下、水野):私は弁護士として、新しいテクノロジーを活用したスタートアップや大企業の新規事業を法的にサポートする仕事に携わることが多く、HITEでは「日本的ウェルビーイング」をテーマとする研究プロジェクト*に参加していました。情報空間でのウェルビーイングという観点から、個人情報やプライバシー、データの取扱い方、そして稲谷先生がおっしゃられていた利用規約やプライバシーポリシーへの同意形成や責任概念の矛盾を考え直すことなどが最近よく議論されていますが、それと平行して、いまは市民の制度に対する不信が非常に高まっている時代だと感じています。


*HITE 研究プロジェクト「Wellbeing を促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」

それに対して、私はボトムアップ型のルールメイキングを推奨しています。ボトムアップ型とは、社会のルールを個々人が「自分ごと」として捉え、アップデートしていけるような仕組みを指しています。どうやってそれを実現するのかと言えば、おそらく色々な方法があるのでしょうが、私は「ルールハッキング」と「ルールメイキング」を循環させていくなかで、社会に実装していくモデルを提唱しています。大きさも種類も異なるさまざまなプレイヤーから起草されたルールに関するアイデアが少しずつ取り入れられ、淘汰されていくなかで、ブラッシュアップを繰り返して適切なものが残っていくイメージです。

例えば、バルセロナの「decidim」というプロジェクトがあります。EUの「Horizon 2020」という多額の助成プログラムに採択されている「DECODE」というプロジェクトがあり、バルセロナとアムステルダムがモデル都市になっているのですが、「decidim」はバルセロナがそのプログラムのひとつとして力を入れているプロジェクトです。

スマートシティ化が進むバルセロナは、公道をパブリックスペースとして有効利用するなど、都市の活性化においてEUの中でも注目を浴びている都市です。「decidim」はバルセロナ市民のみが使用できるデジタルプラットフォームで、ここでは予算の配分や法改正、新しい法律のアイデアなどがGitHubと連携されたプラットフォームで議論されています。

実は昔も「GitLaw」というそれに近い発想のプロジェクトがありましたが、「decidim」のおもしろいところは、道路などの開かれた公共空間で誰もが参加できる市民議会や子どもや高齢者向けの法律ワークショップなどのリアルイベントをたくさん開催し、そういったオフラインのミーティングで起きた議論をすべてそのデジタル・プラットフォームにも反映させることをやっているところです。こうしたバルセロナの事例はボトムアップ型のルールメイキングのモデルになると思っています。

水野祐 氏
水野祐 (シティライツ法律事務所 / 弁護士)

もうひとつ、最近話題となるテーマに「信頼」がありますよね。『TRUST 世界最先端の企業はいかに〈信頼〉を攻略したか』という本を書いたレイチェル・ボッツマンは、信頼を3つのカテゴリーに分け、ひとつは個人や家族または地域などの「ローカルな信頼」、ふたつめは国家や法律などの「制度への信頼」、そしてこれから増えるだろう「分散化された信頼」があると論じています。シェアリングエコノミーやAIエージェントなどによる意思決定の分散化やブロックチェーンなどの暗号技術が、このようなボトムアップ型の新しい信頼形成に今後寄与する可能性があると。これは新しい社会契約を考えるうえでも援用できる考え方ではないかなと思います。

プロセスを明確化する

稲谷:宇佐美先生のお話で気になるのは、「合意をベースに法を考えたくなるのはなぜか」という点です。条約や協定などの国家間の合意に基づいて形成される国際法の秩序を国内法に適用すると仰られましたが、違うやり方もありうるかと思います。例えば、OECDでは外国公務員贈賄を効果的に摘発することは長年の課題でしたが、2000年代半ばくらいから相当数摘発されるようになりました。これはアメリカ合衆国がDPA(Deferred Prosecution Agreements 訴追延期合意:司法取引の一種)制度を利用したFCPA(海外腐敗行為防止法)の域外適用に熱心になり、アメリカ企業だけでなく他の国の企業もどんどん摘発するようになったからです。それによって他国の政府が「自国の企業がアメリカに罰金を払うくらいだったら…」と、似た制度を自国でもつくるようになり、実質的なスタンダードが形成されました。

環境変動にも同じことが言えるのではないかと思っています。どこかの国が突然イニシアチブを取り、文句をつけにくい形で環境規制の域外適用を始めると、他国もそれに乗ってこざるを得なくなります。そうしたかたちでの秩序形成もあり得るのではないかと思います。

もうひとつ、複数均衡が存在する動態的なゲームとして秩序形成を考えた場合には、誰かの行動が変容することで、潜在的にありうる現在とは別の均衡状態へと全体が動くこともあり得ます。そういう意味では、秩序形成に関係するそれぞれが綱を引きながら、ある望ましい秩序が出てきた段階で法を利用して固めていく。こういったボトムアップを繰り返していくモデルの方が,法と人の実際の共進関係に近いようにも思います。この際には、ボトムアップによる秩序形成運動に対して,どのようにインセンティブをつくるかがポイントになるでしょう。

水野:私の普段の実務では、法律で定められたルールが新規事業のハードルになることが多々あります。もちろん、当該事業分野の法環境を精査したうえで、法解釈により可能な限り適法に、事業を遂行できるように助言していくことになりますが、事業として社会に新しい価値は提供できるが、どうしてもグレーな部分が残る場合や、法律が明らかに古いと思われる場合がある。

その場合には、行政や政治家に向けたロビーイングを行うこともあります。行政も政治家もいまの時代環境においてルールを変えていかないといけない部分があることは理解しているが、その課題感が十分に伝わってなかったり、どのように変更すればよいかというアイデアを民間に求めていたりします。このように、ルールメイキングに関わる公民の両方にインセンティブがあり、双方でルールを共創していかなければならない状況で、いかにそれをオープンなプロセスで適正化するかが重要になってきているという実感があります。

稲谷:たぶんいま最も重要なのは、そのプロセス、つまり「手続き」をきちんと設計することだと思います。どの部分で立法が行われるのか、どんな場合に意見が採用される可能性があるのかを明確にしなければなりません。先に述べたDPAが機能しはじめた一番の理由は、何を申告すれば助かるか、という点が明確だからです。

宇佐美:DPAの話は面白いですね。確かに、国際社会で有力なプレーヤーがある行動をとると、他のプレーヤーがそれに対抗して同じように行動した結果、新しい制度が成立するということはあります。他方で、国際環境法を含めて、国際法の主要な部分となってきたのは、合意に基づく条約法だということも、否定できないでしょう。

稲谷:市民や利害関係者の参加に基づく新しい規制手法を構想する議論においても、参加者に正直にふるまうインセンティブを付与する重要性については述べられてきたように思います。また、僕は合意に基づくトップダウン型の法形成という発想自体にそもそも懐疑的です。それよりも、個別の事件や問題について集まったステークホルダーの議論から出たミクロな結果を集めていくほうが有効だと思います。いきなり大きなスケールにする必要はなく、あくまで個別のケースが引っ張り合うなかで結論が出ていくモデルの方がいいと思います。

水野:その「引っ張り合い」とはどんなイメージでしょうか?

稲谷:例えば不祥事を犯した企業は、アメリカであれば「お前の会社のこのガバナンスが駄目だから何とかしろ」と言われて再構築をさせられます。それを観察した同業の複数の企業が数年に渡って試行錯誤を繰り返すうちに、だんだんと良い方法が分かってくるわけです。コンプライアンスに関するベストプラクティスをいきなり作るのではなく,個々の企業の試行錯誤の積み重ねにより,徐々にベストプラクティスについての共有認識が形成されてくるわけです。

西洋思想の文脈から逸脱した、
法の新たな可能性

水野:抽象的な質問になりますけど、法律家もビジョンをつくるべきかという議論についてはどう思いますか?

稲谷:絶対に必要です。ビジョンなしにはどうにもならないと思います。

宇佐美:そのビジョンをつくる時、法律家ならではのビジョンを提示できることが重要だと思います。サングラスをかけると、自分の周りが違った色で見えるように、ある専門教育を受けることで、世界の見え方も変わるのだと思います。この見え方が、将来のビジョンにも特徴を与えるわけです。そういう法律家が、別の色のサングラスをかけている異分野の専門家と一緒にクリエイトすることも、重要になるでしょう。

稲谷:とはいえ、「法のサングラス」というものが果たして本当にあるのかは疑問です。

宇佐美:先ほど言われていた、主体の話もそうですね。自律的主体という法の前提は、もう維持できないというお話でした。

稲谷:あれは西洋哲学を基軸としたサングラスを知らない間にかけているという話です。ですから、それを外して見ることもできるはずです。

水野西洋文化に立脚しない法があり得るということでしょうか。

稲谷:あると思います。これまでの法のイメージは西洋的な思想と不可分にイメージされてきましたが、それだけが答えではないのではないかと。

水野:例えば日本の村落共同体の慣習から派生した入会権(いりあいけん)*などはいま見直されるべきコンセプトかもしれないですよね。

*入会権…山林などの土地で採草やきのこ狩りなどの共同利用を行う慣習的な権利

稲谷:そうですね。開発法の文脈で小耳に挟んだことがある程度ですが,例えば、あるアフリカの発展途上国においては、所有権という概念がそもそも馴染みの薄いものなので、その国に即した財産法秩序を構想する上で、「入会」という概念がすごく役に立ったといいます。

水野:たしかに「入会」の概念は一周回って、いまっぽいですよね。

稲谷:エリック・A. ポズナーが『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』という本を書いていますが、まさにあれは典型的な所有権解体論です。それが全て望ましい結果をもたらすか否かは分からないですが、一面の真理は突いているように思います。

水野:今日の「人新世と法」というテーマは、過去のフィルター、というかわたしたちのサングラスを一回外すきっかけになるのでは、という議論ですよね。人新世の議論においても、人間が議論している以上、あくまで人間を中心に考えざるを得ないだろうというプラグマティックな見方もありえそうですが、それでも自律的主体を前提とした契約や責任以外のモデルを模索する必要性は高まっていると感じます。

宇佐美: サングラスを外すか、あるいは本当に外せるかは、法的思考については特に問題となるでしょう。法制度はいわば強い持続傾向を持っていて、その法制度と法的なものの見方が分かちがたく結びついているので。法的な見方は、これまで普段は徐々にしか変化してこなかったし、ヨーロッパの近代市民革命とか日本の敗戦とかのような、よほど大きな外的力が働いたときにだけ、法制度と一緒にラディカルに変わったわけです。

人新世という地球規模での巨大な変化の時代は、しかし個々人にとっては実感するのが難しいという性格があるので、人新世のなかで法的な見方の大変革が起こりうるか、さらに考えてゆく必要があるという気がします。

自己の分散と、法進化の関係

—「人新世と法」という問題設定において、これまでの人間中心主義への疑義があります。樹木に原告適格があるかという議論が過去にはありましたが、今後人間中心の視点を越えて、さらに情報技術をベースとした議論を組み合わせるとき、どんな全体像が描けるのでしょうか。

宇佐美:「生態系中心主義」という言葉もありますが、哲学的な分岐点として「本来的価値」か「道具的価値」かがあります。本来的価値とは、あるモノの中にある固有の価値なのに対して、道具的価値は、それが他の価値にとって役立つという価値です。人間中心主義は、人間にしか本来的な価値がなく、動物や生態系は人間にとって役立つから、その限りで大切なのだという考え方です。環境法を含めて、法はこれまで人間中心主義に立ってきました。人間中心主義の枠内ではあるけれども、人間の行為を規制したり誘導したりしてきたわけです。

これに関連して、AIやナノテクノロジーが法に対して持つ意味合いが興味深いと思います。例えば、稲谷さんが触れられた義足は、少なくとも従来の見方では、主体としての人間がモノを装着しているだけだと理解されるので、義足が法の原則に影響を与えるとは考えないわけです。ところが、最近は血管を通して体内を駆けめぐるようなナノロボットが医療用に開発されています。あるいは、記憶や情報処理をする極小チップを、脳の中に埋め込める時代になったら、どうでしょうか。人間と人間でないものとが一体化していると解釈して、本来的価値をもつ法的主体の範囲を広げることになるのか、それともナノロボットや脳のチップも義足と同じように、あくまでも装着物にすぎないと考えるのか。

稲谷:僕が関心を抱いているのはまさにそのような論点です。人工物や環境によって人間のありようが変わることを想定した場合、法が人と人の間にのみ存在するという前提のままでは、常に見えない領域が残り続けます。人新世の法を考えていくときに、そこが最も難しいポイントでもあると思います。

—環境法は不確実な情報も扱わざるをえなかったわけですよね。

稲谷:そうです。そういう意味で法はリスクベースに変わってきています。その結果として、人の自由意志に基づく選択を規範的評価の対象とする義務論や単純な功利主義、帰結主義で説明できないものに変わりつつあるということは間違いないと思います。リスクや不確実性と共に生きるためには,人の意志によって完全にはコントロールできない領域を認めなくてはならないからです。その意味で、ある種の本質を持った存在としての人間中心主義は、すでに溶解し始めているのかもしれません。

宇佐美:人間と機械の関係が複雑に混ざり合っていく場合、先ほど話の中で触れられていた人々のウェルビーイングは、どうなっていくのでしょうか。

水野:インディビデュアル(個人)ではなく、ディビデュアル(分人)的な関係になっていくことが前提になると思います。いままでは個人が独立したひとりの人間としての一つの、一環したアイデンティティを持っていると思われてきましたが、本来はもっと分散化した自己を持っているという考え方がありますよね。

人間中心主義からの脱却について考えると、稲谷先生が提案されていた、「法主体性と法客体性」の二分論から、さらにプレーヤーが増えていく可能性への問いが重要になっていくと思います。例えば、法人や動物の主体性、最近論じられているAIの法人格の有無、あるいは木や環境が法人格を持てるのかという議論を再考することで、人格という法主体性が人間特有のものであるかを見直すべきだと思います。

稲谷:法の目的や対象が変わり始めているように思います。以前は意識を持った人間に直接働きかけ,法に定められた行動を行わせること自体を目的としていたものが、いまは人の意識や行動を経由してある特定の状態を目指すものに変わってきています。法の目的が、法に書かれた事態を実現することそのものではなくなり、人そのものも法の対象というよりも、法という技術を利用するための媒介項になってきているのです。

水野:刑法にこういう規定があるから、こういう行為をしてはいけない、という考え方ではななくなってきますね。

稲谷:そうです。ですから例えばアメリカで法人処罰の話をするとき、法人を良き市民にどのように変えるかという話をします。法そのものは構成員が重罪に該当する犯罪を行い、有罪判決を受ければ法人を事実上「死刑」にするように書かれているのですが、この法をそのまま執行することは法の目的ではないのです。

また、良き市民とは何かというのは、そう簡単には決められませんし、ましてやその要件を明確に書き下すことなどできません。結局人間とシステムとの相互構成的な関係性に基づく、ある望ましい状態を、法を利用して目指しているのです。その意味では直接人間を狙わない、むしろ人と人、あるいは人と環境とのあわい」のような領域を狙うようになっているというのは、現代の法のかなり重要な特徴だと思います。

2020年3月、都内某所にて

TEXT BY 高橋未玲
PHOTO BY 黒羽政士

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